小野田さん

BSの小野田さんのドキュメンタリーを見る。
小野田さんとは戦争終わった後もフィリピンの島で29年間
生存していた人なんである。
小野田さんは15歳で満州にわたり貿易会社で勤めて
20歳で徴兵され陸軍中野士官学校に行った。
この学校は諜報活動やゲリラなど特殊任務を
教える学校で、かなりユニークな校風だったらしい。
戦中のくせに自由な校風。 ある意味すごい。

で1944年にフィリピンに派遣される。

で200人以上いた部隊はあっという間に40人程になり
それから全滅を避けるため3人づつ班に分かれて
ゲリラ活動をする事となった。
そして1945年戦争が終結
大体の日本軍の兵士は投降したが
小野田さんの班は 生き残ってれば
まだ勝機がある。あのインフォメーションは
米軍の情報戦略だ と 決め
生き残ることにした とのこと。

で 食べ物の調達 水の確保 など超サバイバル
を生き続けた。そして場所が特定されないように
2−3日毎にジャングルの中を移動していたらしい。
経験をつむと木の皮の色や山の地形で水の出る地層が分かったり
するらしい すげー 知恵です。


そして話は飛んでその29年後 1974年昭和49年 約30年の間に3人グループのうち小野田さん以外2名はフィリピン軍の討伐隊との交戦で死亡する。小野田さんこのとき52歳。
その年日本人の青年(24歳)が単独でィリピンに小野田さんを探しにいき
小野田さんと交流。 「上官殿の任務修了の命令があれば 日本へ帰る」
と話 それをきっかけにめでたく日本にかえる。

日本に帰った小野田さんを見て
浦島太郎 もしくは フォレストガンプののフォレストが
勲章を獲って大統領とテレビ出演しているシーンを
思い出した。

しかし小野田さんはココからがものすごい。

小野田さんは翌年よりブラジルに牧場を耕すために入植する。
ものすごい度胸である。そして日本で年下の嫁さんをGetし
小野田牧場を開く。それは今も在り1800の牛を育てる成田空港より
広い牧場らしい。そして小野田さん83歳 いまだ現役で牧場で
働く。とても83歳には見えない若さ。

まあ総括していうとなんて生命力。 なんてたくましいのか と。
日本で16年 満州で4年 フィリピンで29年 ブラジルで30年。
果てしないもうどれが祖国か分からない と本人も話していた。
そして 村上龍の小説でよく出てくる ゲリラの本質は生き残る ことだ
と出ていたが小野田さんはフィリピンでもブラジルでもやってのけた。

そう思えば、俺の話なんてあまりにちっぽけすぎて笑ってしまします。
大笑いです。50歳からまたもう人スタート切れるくらいに
柔軟にいたいな と ちょっとでかい事いいすぎたかな と。